~乳がんからの日々~HBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)

2020年8月 HBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)が原因の乳がんと診断。同9月右乳房全摘+同時再建。同11月左乳房予防切除+同時再建、及び卵巣・卵管・子宮全摘。現在ホルモン療法中。まだまだ世に知られていないHBOCを読者の方々と情報共有できるよう、また自身の備忘録も兼ねてブログを始めます。

手術当日①

ご訪問頂きありがとうございます。

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今日は11月10日(火)

術後6日目です。

 

手術当日のこと、記憶をたどって綴っていきます。

 

今回の手術は健側(左側)の乳房切除卵巣卵管及び子宮全摘出

乳房切除には乳頭・乳輪切除も含みます。

 

術後の2次再建はブレストクリニックのY先生にしてもらう予定なのだけど、このY先生の技術が素晴らしいらしく、写真で見せていただいた再建後のあまりに綺麗な胸!

特に乳頭、乳輪が再建したものとは思えない出来で、こんなにきれいな胸に仕上げてくださるならと、全摘へ決心がついたという経緯がありました。

 

なので、出来れば乳頭・乳輪は残したかったのだけど、ここからまた癌ができる可能性もあり、がんセンターのK医師によると、乳頭・乳輪から発生する癌の場合、同時に肝臓や肺にもできる場合もあるということで、健側の方も完全全摘の決心がつきました。

 

朝7時頃浣腸をしてもらい、後は9時前まで病室で荷物の整理をしました。というのも

HCUから戻ってきたときベッドが変わる可能性があるからとの事。

(チョットメンドクサイ)

 

9時45分ころ、ナースステーションの前にあるデイルームまで行き待機。

9時50分に看護師さんに連れられてオペ室へと向かいます。

 

この時私以外に高齢の男性がいたのですが、「なんでこんなに待たすんや!」「自分1人でいくで!」と何度もナースの制止を振り切りどこかへ行こうとしています。

 

まぁ、そんなに急いでどこへ行く!?

と思っていたら、何とその老人も同じくこれから手術の人でした(汗)

 

廊下を進みながら「姉ちゃんも(私のこと)早うから来て待ってたんやな!?」と何度も話しかけてくるので、完全無視(笑)

 

看護師さんも大変だな。。

 

エレベーターで6Fに降り、大きなドアの中に入ると沢山の人が。

手術の間家族が待機している部屋でした。

夫ちゃんとそこで面会し、貴重品を預け、二言三言言葉を交わし、いざオペ室へ。

 

再び大きな自動ドアが開くと、そこにも沢山の人たちが。

青い術衣(スタッフ)を着た人と、白い術衣(患者)を着た人でごったがえしていました。

奥の方から「Kさぁん」と呼ばれオペ室へと案内されました。

 

オペ台の上に乗る様に言われそこに横になると、何とフワフワ!

長時間のオペになるので褥瘡が出来ないよう柔らかい仕様になっているようです。

 

先ずは右手にいた男性看護師が挨拶され、その後左手にいた看護師もてきぱきと私に色々なものを付けていきます。

 

その時、確か婦人科のオペ説明の時に助手としてオペ室に入ると言っていたドクターが術前に署名押印した書類を一枚一枚私の前で見せながら確認していきました。

 

どのみちシニアグラスが無いので文字は見えず、適当に「ハイ・ハイ」と返事を済ませた頃、

頭の上にいた麻酔科のドクターらしき人が私のルートを取ろうとしていました。

看護師泣かせの私の血管ですが、腕をチラッと見ただけで迷うことなく点滴を入れる場所を決めたのか、強めに駆血帯をしばりチャチャっと一発で決めてくれました。

 

(心の中で、アリガトー♡)

 

その後枕元に戻り、「Kさん、麻酔科の○○です。よろしくお願いしますね。

今から酸素を送っていきますので普通の呼吸をしていてください。」

「深呼吸でなくていいですよ~」

と、マスクの上から酸素マスクをかざし、「手術中目が覚めないようにしっかり麻酔をかけますからね~、大丈夫ですよ~」

 

「センセー、途中目が覚めたらタイへ~ン」

 

そう返した後、見事に意識は無くなったようです。

 

 

その後、手術が終わって目覚めることになるのですが、

その夜はまさに地獄の一夜!

 

続きは明日書いていきます。